よかったと思ったはなし

私の親は、毒親というほどでもないと思う。
でもその関連書籍は、読んでいるとページを繰る手が遅くなり、何行かごとに思考停止を繰り返したりして、読むのが大変だったし、とても、読んでよかった。
昔の自分がいたところは、抱いていた感情は、いやあなかんじだなという感覚が得られたから、とてもよかった。

ああいうもんだ、あれくらい普通だ、とわざわざ思う必要はないのだ。
いやあな感じを我慢しなくともよい、そう感じたということ自体は、それは私がそう感じた以上、当たり前の事実である、ということを知った。
いやあな感じだったのだということを口にしても、許される、ということを知った。
ふつうに自分の気持ちを尊重して過ごしても、ちゃんと好いてくれるひとが、褒めてくれるひとがいることを知った。
誰かの悪口を言う必要はなく、また、誰かの悪口を聞かされても同じように思う必要はないのだということを知った。
もやもやとした気持ちを大切にしてもよいのだと思った。

いやあな感じだった。

もう、そう思ってもよかった。私はもう、「いやあな感じ」から離れようと思っても生きられる。
いやあな感じだと知ったところで、それをいいものに変える努力も、私にとって必要な努力ではないのだと知った。それは、使命でも義務でもなんでもないのだと思えた。
いやあな感じでない風に人と接してもいいし、私は私が、すてきな感じと思える関係性を、誰かと築いていい。
思っていたよりわたしはいやなやつではなかったのかもしれない、と思った。

だから、とても、よかった。